◇花魁(おいらん)
up2008.4.8
意味・語源)
江戸吉原遊廓の中で位の高い遊女の呼称。(吉原限定用語)
妹分である禿や新造が「おいらの所の姉さん」と呼んだのが
語源とされる。
花魁は江戸の大スターで、庶民は浮世絵(うきよえ)を見るだけの 雲の上の存在で、実際に遊ぶ事などめったに出来る物ではなかった。

花魁の位)
宝暦2年(1752年)以前には、江戸・吉原にも太夫と言う位があり最高位だった。
宝暦2年、太夫職が事実上無くなり、その代わりとして「花魁」と言う位が生まれた。
従って、吉原で「太夫」と「花魁」が同時に存在したことは無いという事になる。
この太夫が無くなった理由は、遊郭利用者の懐事情と、客を袖に出来るという
高級遊女の「しきたり」とされる。
又、京都・島原には花魁は無く、太夫が最高位である。

花魁の中でも上下があって、「張り見世(はりみせ)」と、「呼び出し」がある。
「張り見世」と言うのは、朱塗りの格子の中でお客を待つ事をいう。
一方、「呼び出し」と言うのは、二階の自分の座敷で呼び出しを待つ事をいう。 この、呼び出し花魁になると禿や新造を従えた格になる。

呼び出し花魁は、吉原の遊女3,000人と言われるが、その中で4人位だった。 ※以降、呼び出し花魁を、花魁として説明します。

装飾と費用)
花魁の髷(まげ)は、豪華な簪(かんざし)や、櫛(くし)で飾られている。
首から上が「家一軒分」程と言われ、櫛は最高級のべっ甲を始め、簪は銀の細工物と高価な材料を使用していた。
これらの衣装や調度品は全て自前で旦那衆からの贈り物などで賄っていた。
更に、禿や新造を従え自分の座敷を維持するために多額の費用を要した。
これらの費用は、店からは一切支給されなかった。

禿(かむろ)
花魁の身の回りの雑用をする10〜14歳前後の少女。
彼女達の教育は姉貴分に当たる遊女が行った。

新造(しんぞう)
15〜16歳の花魁候補。
禿はこの年頃になると姉貴分の遊女の働きかけで振袖新造になる。

花魁の教養)
花魁は諸芸に通じていて、花も生ければ、お茶もたてる、和歌も詠むし、
書道もたつ・・・っと、一通りの芸事は習得していた。
(幼少の頃から徹底的に古典や書道、茶道、和歌、箏、三味線、囲碁などを仕込まれた)

ありんす言葉)
地方出身者が多かったので、「なまり」を消すための人造語。 見世(みせ)によって、この言葉は違っていた。

大見世を例にすると、
・松葉屋:「おす」  用例) じれっとうございます > じれっとうおす 、 ようござります > ようおす
・丁字屋:「ざんす」
・扇屋:「だんす」  用例) 本当のことですか > ほんだんすかえ
・中萬字屋:「まし」、「しなまし」  用例) こちらに来てください > こっちに来なまし
・久喜萬字屋:「しなんし」
このように、一軒一軒違うので、言葉を聞けばどこの花魁か解った訳である。

劇中で、自分のことを「わちき」と言う事があるが、実際は「わっち」と言った。
男っぽい響きだが、これは「六方詞(ろっぽうことば)」といい、町奴(弱者を助ける正義の侠客)などが使う言葉である。
男っぽい言葉を、きれいな女性が使うことで色気が増して見えたのである。

花魁道中)
裕福な、お客であれば仲之町の茶屋まで花魁が迎えに来てくれる。
禿や新造などの大勢のとりまきを引き連れて、三枚歯の塗り下駄を履いた花魁が、吉原の
大通りを、ゆったり歩き、普通に歩けば10分程度の道のりを、小一時間もかけて来る。

これが、「花魁道中」である。

花魁がゆったりした立ち居振る舞いなのは、腰巻きにも理由がある。
普通の女性の腰巻きには紐が付いるが、花魁の腰巻きには紐が無く、
挟んであるだけである。 慌ただしく動くと落ちてしまうのである。

吉原の歩き方は「外八文字」(そとはちもんじ)。
つま先を内側に向け、次に外側へ蹴り出すように八の字型に歩く。

京都・島原の遊郭では「内八文字」(うちはちもんじ)。

又、花魁デビュー前に、お店の廊下で先輩から特訓を受けたのである。

郭のしきたり)
花魁遊びには、郭(くるわ)の決まりがある。

初会(一回目)
花魁は客とは離れたところに座り、客と口を利かず酒も飲まなかった。
この際、客は品定めをされ、花魁にふさわしくないと思われたらその花魁とは付き合うことができなかった。
客はたくさんの芸者を呼び、派手に遊ぶことで財力を示す必要があった。

裏(二回目)
少し近くに寄ってくれ、一言二言声をかけてもらえるものの、基本的には初会と同じである。

馴染み(三回目)
自分の名前の入った膳と箸が用意される。このとき、ご祝儀として馴染み金を支払わななければならなかった。
通常は、三回目でようやく床入れ出来るようになった。

どんなに金を持っていようとも、この手順を踏むことになる。

花魁の決まりと旦那の楽しみ)
花魁は、お座敷では一切ものを食べず、自分の前にあっても箸を取ろうとしない。
そして、笑わず、人形のように、しとやかに座っている。
旦那衆は、一生懸命芸を覚えて、洒落を言ったり・踊りを見せたりして花魁を
笑わせるのが手柄となり、又、普通なら、ものを食べない花魁に銀杏を
一つ食べさせたというのが自慢になるのである。

旦那の浮気)
馴染みになると、客が他の花魁に通うのは浮気とみなされる。
他の花魁に通ったことがわかると、花魁は客を吉原大門のあたりで捕らえ、
茶屋に苦情を言った。客は金を支払って詫びを入れたという。

貰い引き) (もらいひき)
一人の花魁に、馴染み客の指名がかち合ってしまった時、上客や支払いの滞っていない客に花魁は出向いてしまう。
座敷に残された客の所には、名代(みょうだい)として新造がやってくるが、この新造は話をするだけで触ってもいけないのである。
そして、そのまま朝まで過ごしても、花魁を揚げたときと同じ遊興費を支払うことになる。

ここで文句をいうと「野暮だ!」と思われ、江戸っ子の恥になるので必死に耐えるのである。

郭の花代)
吉原で最も粋(いき)な客は、遊女屋の座敷で芸者や幇間(ほうかん:太鼓持ち)、踊り子などをたくさん呼んで、
ワッと賑やかに騒いで、泊まらずに帰る。
「花魁に、お酌をして貰いたいから通う」という人が、一番喜ばれる客である。

現金を使う場合も多いが、良い見世の場合「船宿」「引き手茶屋」と、ふたつの店を経由しくる。
客は引き手茶屋に財布ごと渡し、引き手茶屋がお客を保証する。これなら、手ぶらで遊女屋に行けるのである。

「来月の分だと茶屋に五両おき」という川柳(せんりゅう)があるが、
一回に五両だと吉原では安い方で、一流の花魁を呼び出したら、
百両が三日もてば良い方である。
吉原は接待の舞台として使われることが多く、自前では、
なかなか遊べなかった。

一流の呼び出し花魁と一回遊ぶのに30〜50両は必要だったのである。
これを現在に換算すると、40両として、160万円(1両=4万円換算)の花代となる。


身請け) (みうけ)
遊女の身代金や借金を支払って勤めを終えさせる事を言う。
身請けは大変なイベントで、身請けをした旦那はヒーローであった。
あまりにも身請けの金額が高いので、寛政の改革(1787〜1793年)の際に、
上限が500両と定められた。
しかし、それでも守られず「千両花魁」が後を絶たなかった。

※500〜1,000両は、2,000〜4,000万円(1両=4万円換算)となる。


※本ページの情報は、文献等により私が信頼性が高いと思われるものを採用して掲載しております。